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| 山西紀行 2 | |
「雁門関」
五台山の北、恒山山脈の山中、
代県楊家祠廟の西北20キロほどのところにある。
このあたりは古代契丹(遼)と宋との国境であった。



かつての国境紛争の舞台は煉瓦と石造り、東門、西門、小北門の三洞門で構成され、
関楼からは、南に五台山の山並み、北には大同へと続く平野が見渡せる。

【東門関楼から代県を望む】

【関楼の額】
観光地ではあるが、駐車場が整備されていないところを見ると規模は大きくなく訪れ
る人も少ないのであろう。
西暦980年、遼の景宗は数万の軍勢で雁門から宋に攻め入ろうとした。
それを迎え撃ったのが楊業。10倍以上の敵を相手に奮戦し南下をくい止めた楊家初
代は、この一戦で「楊無敵」と呼ばれるようになったという。
しかし、この活躍が軍内での軋轢を生み、それによって楊業は無理な戦いを指揮す
る立場に追いやられ命を落とすことになる。

【小北門】
午後遅くに訪れた我々の前に、楊業が得意の大刀を手に駆け上ったであろう坂道
が天波楊府に向けて続いていた。
以上。
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